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​鶴 光代先生インタビュー

​インタビュアー:久持 修(やまき心理臨床オフィス代表)

撮影:2025年5月

鶴光代先生インタビュー 全文

久持「はい、じゃあお願いします。」 鶴「よろしくお願いします。」 久持「今日はお忙しいところ、ありがとうございました。」 鶴「こちらこそ。」 久持「もう早速ですけど八巻先生との出会いについて伺えますか?」 鶴「直接的な出会いは、2001年に八巻先生が秋田大学の教育文化学部の附属の教育実践総合センターの助教授として赴任された時に、初めてお会いしました。」 久持「その前からお会いになってたわけではないんですか?」 鶴「その前から、同じ催眠医学心理学会に籍を置いていたけれど、会うことはなかったですね。ただあの当時筑波大学にいらっしゃって、柴田クリニックでも八巻先生とご一緒だった笠井先生から、『優秀な若者がいるよ』っていうような話は聞いてたんですね。」 久持「笠井先生の話を私も八巻先生からよく聞いてて」 鶴「あ、そうでしょ?」 久持「八巻先生にとって兄貴分のような存在で」 鶴「そうそう、信頼してましたよね。なんかいろいろ相談もされてたみたいですね。」 久持「そうですか。」 鶴「でね、八巻先生より1年早く、2000年に秋田大学の教育文化学部の心理学コースって言われてるところに赴任したんですね。」 久持「当時、あれですよね。臨床心理士の資格が指定校の制度が始まったばかりで、秋田大学も指定校にするという流れで先生も。」 鶴「そうですそうです。それが一つだし、秋田大学全体として、その2〜3年前に秋田大学の組織の大改革があったのね。その中での一つのモットーが『新しい風を入れる』っていう。私が赴任した時も、教育文化学部って、国語教育とか数学教育とか、いろんなコースがいっぱいあって、それと同じ形で教育学コースと心理学コースがある。何十人て先生がいらっしゃる。そのほとんどが東北大出身だったんですね。」 久持「あ、そうなんですね。」 鶴「教育学部も心理学部も全員東北大。」 久持「でも先生は違う?」 鶴「だから、新しい風なの。」 久持「あ、なるほど」 鶴「秋田大学に来ないかって声がかかって、そういうことでぜひ新しい風を入れないといけないので、若い先生たちに相談したら、あなたが推薦されたのでって。八巻先生もそういう流れです。新しい風を入れるっていう。センター長の先生はものすごく喜んでらっしゃったですよ。さすが東京から来た、みたいな感じで。」 久持「今、名前を思い出しました。浦野先生。」 鶴「そうそう、浦野先生。その時、センター長されてたかどうかは…ちょっと覚えてないけど、4人の教員ポストのトップでしたね。浦野先生とは、馬が合ったんじゃないでしょうかね。」 久持「よく飲みに行ってたみたいですよ。」 鶴「ああ、それは良かったですね。秋田、日本酒おいしいですからね。」 久持「そうですか、そういう流れで。」 鶴「それと私の、(八巻先生が)来られてからの活動の印象的な話は、まずお人柄が良かったというのもありますけど、外に外にこう、大学の中に引きこもるのではなく、外に働きかけるという姿勢がありました。すぐにいろんなところとコンタクトを取って、もう翌年にはいくつかの、たとえば秋田の教育委員会の仕事とか教育センターの仕事とかね、外の仕事がどんどん八巻先生に入ってくるような感じでした。」 久持「まさにあれですね、新しい風が」 鶴「そうそう、そして人気者。やっぱりお話が上手だったからね講演とか研修会に出た人が、『今度また別の研修会にぜひ来てもらいたい』とか、そんなことが、秋田でよく活動されていましたね。」 久持「いろんなところにこう呼ばれて。でも秋田は広いですもんね。湯沢とかってなったら2時間くらいかけていかなきゃならない。」 鶴「それからあの県北、私もよく行ったけど、遠かった。」 久持「私も今その話聞いて思い出したんですけど、よくそういうところ、例えば湯沢だったら秋田の湯沢、2時間ぐらいかけて地域の学校とかで講演会をして、必ず美味しいものを食べて帰ってくるっていう。遠いのを苦ともしてなかったというか。」 鶴「それはまあ、やっぱり若いし、こう…なんていうかね、ソフトなアクティブさっていうかね。ガンガン行くっていうんじゃなくて、ソフトだけどアクティブっていうのが分かる。なんか、そういう印象でしたね。私。」 久持「じゃあ結構どんどん盛り上がって」 鶴「そうですよ。うん、盛り上がりましたね。それまではね、なんかみんな、とにかく心理学関係の専門家はちょっと静か、大人しかったんですよ。」 久持「あ、そうなんですね。」 鶴「だから私が赴任した時に、『教育委員会に挨拶に行きたいんだけど』って言ったら、みんなびっくりしたみたい。私はね、挨拶に行くのが当然だと思ってたんですけど、そしたらみんながびっくりして、そういう習わしがないみたいな『じゃあみんなで行きましょう』ってことになってね。その後から、いろんな調査研究の仕事とか頼まれるようになって、他の先生たちにも頼まれるようになりましたね。 久持「じゃあ、どんどん広がって?」 鶴「どんどん、ってほどではないかもしれないけど、それまでよりはね。私は秋田大学に7年間いましたけど、非常に居心地が良かったです。八巻先生も、まあ後半はいろいろあったかもしれないけど、前半はすごくニコニコ適応されてたんじゃないでしょうかね。あなたたちの頃はどうでした?」 久持「私が入ったのは2003年だったんです。2003年に八巻ゼミに入って、修士の1年で、2005年に修了した。」 鶴「そしたら、ちょうど(八巻先生が)いい時。秋田時代としては一番いい時ですね。」 久持「かもしれませんね。東京から私、八巻先生を追いかけていっていたので。」 鶴「そうらしいですね。」 久持「それも今思えば喜んでいただけてたのかな、という気がしますね。で、いろんなところに講演に行く時にも、学生だったんですけど、連れて行っていただいたりとか。まあとにかくアクティブで。で、終わったら必ず美味しいところに連れて行ってもらって、一緒に帰ってくると。それで必ず感想を聞かれるんですよ。『どうだった?』って。いいことを言うんですけど、『これが素晴らしかったです』『分かりやすかったです』『勉強になりました』って言うんですけど、それを10回ぐらい繰り返すと、なんか物足りなくなってきたみたいで。『もうちょっと、こうした方がいいとか、そういうのはないの?』って言われるようになって(笑)。なんか講演にかける思いが、よりよくしたいという思いが持っていらっしゃった。」 鶴「講演を聞いた人の印象だと『分かりやすかった』と言ってました。だからまた聴きたいとか、他でも話してもらいたいとか、もちろん内容が良かったのでしょうけどまあ内容が良くても難しかったら、っていうのもあるじゃないですか。だけどわかりやすかったっていうのは、私は感想として聞いたことありましたね。」 久持「確かに。講演している姿がすごく生き生きしてましたし、授業ももちろんそうなんですけど、生きがいの一つだったのかなという感じが。」 鶴「そういうのが伝わってくる授業とか講演だったですよね。」 久持「出会いはそんな感じだったんですね。」 鶴「そうそう。で、所属が微妙にちょっと違ってたので、あんまり一緒に大学で仕事をする機会はなかったけれど、それでも2002年だったと思いますけど、臨床心理士の養成コースを立ち上げて、認められて、臨床心理士の教育が正式に始まったんですね。 久持「私、(が入学したのが)その年だったと思います。」 鶴「2001年に始まったのかもしれませんが。ちょっとその辺曖昧で。その時に、私はその相談室の仕事を一緒にやっていて。大学院生の指導も非常に熱心にしてくださってた。大学院生にも人気があったですよね。」 久持「そうですね。それこそ授業もわかりやすかったですし。結構飲み会も好きだったのでよく飲みに行ってました。これ使えるかどうかわかんないですけど、ゼミの教員一人部屋(研究室)を持っていて、そこ(研究室内)でよく飲んでいましたね(笑)。」 鶴「あのね当時、秋田大学ではそれが公的にそれが禁止というおふれはなかったと思います。わからないけど。私はしたことないけど他では見聞きして。用事があって行ったら『一緒に一杯飲んで行ってください』って言われたことがある(笑)。でもある時からダメになったんですね。」 久持「だんだん厳しくなりましたからね。」 鶴「懐かしいですね、本当、八巻先生の明るさとか、しなやかさが思い出されます。」 久持「一緒に仕事されてた中で、思い出されるようなことは?」 鶴「あのね、彼はいろんなところで人間関係が大事だっておっしゃるよね。論文とかにもセラピーにおける人間関係について書かれてますが、そういう話をしている時に、私は(セラピーの中の関係を)人間関係とは捉えてない。人間関係とは捉えてなくて援助関係として捉えてるってそこでじゃあ、何がどう違うのかって彼と論争になったことがあるんですよ。」 久持「鶴先生と?」 鶴「そうそう、論争って言うとおかしいけど、彼は幅広くまあ捉えてるわけですよね。で、私はそのいわゆるセラピーの時だけの関係だから、それはもう自分から言えば援助関係っていうようなことをまあ言った。あの時、20〜30分ぐらい白熱したなという印象がありますね。 久持「そうですか(笑)結構熱く議論みたいな。」 鶴「今思うと、八巻先生は日常生活も含めて、本当人間関係が好きだったし大事にされていたんだと思いましたね。」 久持「“かかわりの心理臨床”っていう本が単著として出ているんで。」 鶴「結局、私はセラピーに限っての人間関係だと言っているんだけど、でもちょっとメモしてきたんです。アドラー心理学に関心を持たれたのはいつ頃からだったんですか?」 久持「元々はだいぶ前から(関心を)持たれてたのだと思いますが、やはり『嫌われる勇気』がブームになった頃に、ご自身では「便乗した」と言っておられましたけど。」 鶴「私はアドラーは勉強したことがないので、なんとも言えないけどアドラー心理学に関する概説とか読むとね、なんか八巻先生にぴったりだな、って思いますね。なんというかアドラー心理学って捉われないですよね。それと一人一人の自立性というか、一人一人の主体性とか、自由度の広さっていうのを、アドラー心理学は尊重しているっていう風に私が捉えた時に、八巻先生の生き方に非常にフィットしてるなと。」 久持「晩年と言ったらいいのか、本当にアドラーに一生懸命になられて。私が秋田大にいた頃はいわゆる家族療法とか、システムズアプローチとかに凝っていた時期で、私がその教え子だった。一気にアドラー心理学の方に行っちゃったので。」 鶴「合ったんじゃないの。自分の存在のあり方と合ったのかもしれないねえ。」 久持「熱が入ると、脇目も触らずにっていう。私なんかちょっと置いてかれたような感じ(笑)」 鶴「その背後にね、私が思うに、八巻先生はやっぱり権威を嫌ってたというのがあるかもしれないですよね。だからこの権威っぽい人のことをね、私にも「ああいうのは気に食わん」って言ってたから。そこらへんもね、やっぱりアドラー心理学と親和性があったんじゃないかなって思いますね。」 久持「まあ確かに。フロイトと決別したというところとか八巻先生もよくアドラーのことを講演でお話しするときに、アドラーは講演が上手だったらしいんですよ。で、講演が好きだし、あまり本を書かないで「語る」人だったと。そしてまあ、体型もややふくよかだったみたいな。まあ、ちょっとこう、自虐ネタですけど、共通項がたくさんあるみたいな(笑)ことをよく話されてましたね。でも結果的にはアドラーも亡くなった死因が、どこかに講演の旅行というか仕事で出張に行って、朝散歩をする習慣があったと聞いているんですけどまあ八巻先生も散歩が好きで、そこも共通してたんですけど、パタっと倒れて、突然亡くなったらしいんですけど。いや本当に亡くなり方もちょっと似てしまったという…。」 鶴「ちょっと因縁を感じてしまうね。 それからね、いわゆるある時からオープンダイアローグっていうのが流行りだしたじゃないですか。私の印象では、八巻先生、すぐそれに飛びついたっていう感じがあるんですけど、どうですか?そんな感じですよね。で、あれもね、八巻先生の性格というか、人柄というか、同じ土俵で学生とでも同じ土俵で対応するっていうか。そういう在り方が、やっぱりオープンダイアローグに惹かれたんじゃないかなと思うんですよね。」 久持「いや、すごいですね先生。どうやってそう読み取られたんですか?」 鶴「いや、オープンダイアローグはちょっとだけ勉強したことがあるので。で、あなたからこのインタビューを受けるって聞いて、それで、八巻先生がオープンダイアローグの、たしか正会員かなんかで所属してるっていう話を聞いて、とにかく早い段階で関心を持たれたっていうので。すぐ結びつきました。」 久持「そうですか。」 鶴「そんな感じしない?」 久持「いやもう、八巻先生自身がオープンダイアローグのいいところは、やっぱりそういう権威じゃなくて、お医者さんがトップに立って仕切っているんじゃなくて、医師すら同じ土俵だ。そこがいいんだっていうのはおっしゃっていたので。いや鶴先生は、そういうこと八巻先生から聞いたことがないはずなのでびっくり。」 鶴「いや、聞いたことはない。聞いたことはないけど、けれどすぐ結びつきました。」 久持「そうなんですね。いや、それはさすが。」 鶴「八巻先生がどんな人かっていうのを思った時に、すぐに結びつく。」 久持「確かにその先ほどの「権威を嫌ってた」っていうところと結びついていたのかなあ。アドラーもそうですよね。縦の関係じゃなくて、横の関係があってところだったので」 鶴「まあ今回あのね、こういうふうにお話をさせていただく機会があったので、八巻先生が何に関心を持ってらっしゃったのかなあと思って、主に八巻秀バーチャル記念館を見させてもらったんだけど。全体を概観すると、先ほど話していたような八巻先生のお人柄が浮かんできますね。だけど、だけど、頑固なところもあったよね(笑)」 久持「いやいや、もうそうですよね。ぜひそういうことも(笑)。」 鶴「なんの時だったか、まあ、その、人間関係とかセラピー関係の話の時も、「そうですね」とか言わないからね(笑)。彼は。それとやっぱりどっか頑固なところもあって、それもまあ魅力の一つだったかもしれないね。」 久持「頑固ということで先生が思い出されるエピソードっていうのは、先ほどの」 鶴「まあ、それは頑固とまでは言わないけどね。ただ…滅多にないんだけど、やっぱり自分が、社会的人間関係で腹が立ってたまらんっていう時に相談に来るんですよ。そういう時はもう本当にもう、「あいつはけしからん」とか、「こういうやり方はダメだ」とか、なだめても全然なだめ効果ゼロみたいな(笑)。」 久持「それは八巻先生、鶴先生に何を求めてたんでしょうね?」 鶴「まあ、訴えたかったんでしょうね。で、あの、私が介在して改善するっていうような求めではなくて、ただ「腹が立ってしょうがない!」って。鶴なら言ってもいいかと思ったのかもしれない。研究室結構離れてたんだけどね。」 久持「そうですね。3階と4階とか」 鶴「建物自体が違ってた。」 久持「そうですね。」 鶴「センターがね。」 鶴「でもまあ、いろいろ思い出しますね。でも全体にやっぱり人気があったね。」 久持「この前収録したのが田嶌先生だったんですけど、(笑)・・・・「嵐を呼ぶ男」っておっしゃってました」。 鶴「彼のことを?ああ、そう。」 久持「学会で議論をふっかけて、彼の周りで嵐が起きてたっていう(笑)。頑固っていう言葉とも結びつくかはわからないんですが」 鶴「ちょっと違うでしょうね。」 久持「議論をすごくされていた。」 鶴「なるほど、議論はお好きだったかもしれないね。」 久持「そういう時はやっぱり引かずに、どれだけ偉い先生でも臆さずに議論を挑んでましたね。」 鶴「そうなのよね。いや、でもそういうところはね、ソフトな感じとか、にこやかな感じとかね、ああいうのでカバーされてたよね、きっと。あったとしても。」 久持「ちょっと頑固だけだったら、私はついていかなかったと思いますよ。」 (笑) 鶴「まあでも中核はやっぱりお人柄が良かったってことでしょうね。懐かしいですね、本当に。本当懐かしい。」 久持「よくお酒とか飲まれたり?」 鶴「いや、それはほぼなかったですね。」 久持「そうなんですか。まあ先生お忙しかったですし。」 鶴「まあそれもあるけど、私自身にそういうパターンがなかったですね。その研究室で懇親会とかは必ず行ってたけど、誰かと一緒に飲みに行くっていうのはほぼなかったです。」 久持「そうなんですね。じゃあ、やっぱり大学の中での関わり?」 鶴「そうですね。大学の中での関わりです。それと、八巻先生を取り巻く外の世界から入ってくる情報。」 久持「ああ、評判ですね。」 鶴「そうそうそうそうそう。で、八巻先生が褒められると、私もうれしいじゃないですか。そういうのは記憶に残ってますね。地方にいると、東京から来た先生っていうのは、期待もされるのよね。その期待によく応えてたんじゃないでしょうかね。」 久持「そうですよね、秋田で、東京から来て、しかも大学の先生ってことで、八巻先生なりのプレッシャーとは感じていらっしゃらなかったように思いますけど、使命感みたいなものは感じました。」 鶴「私が感じているのは、秋田で何人かと食事に行った時、私はただの一人の女性として行ってるんだけど、同行者が「秋田大学の先生です」と紹介すると、ものすごく丁重に扱ってくれるんですよ。いい意味でね。福岡にいた時は、大学の先生って言っても、そこらへんにゴロゴロいるわけですよだけど、あの秋田で、やっぱりある意味少数派で、それなりにいい意味で興味関心引くことが多かったですよね。そういう意味でも居心地よかったんじゃないかなと。大事にしてくださるから。まあ、それ以外の居心地の悪さもあったかもしれませんけど、それはよく知らない。」 久持「八巻先生自身は、秋田の地は気に入っていたように見えました。」 鶴「それと…ちょっと思い出したんですけど、奥田民生っていう歌手の人がいるじゃないですか。ある日ふらっと来て、『奥田民生のコンサート行ってきたんですよ』って突然言われて、『えっ!?』って(笑)。『奥田民生ってどんな歌手だったかね〜』とか、頭の中で考えながら。ものすごく恥ずかしそうに、感激しながら話すのよ。」 久持「へえ、恥ずかしそうに?」 鶴「そうそうそう、その感激したことで、私に話すのが恥ずかしい、みたいな(笑)。それでも一人で話しに来たの。」 久持「わざわざ(笑)」 鶴「用事もあったかもしれないけど、用事はつけたしだったかもしれない。今度は学生と一緒に行ったこともあったみたいですね。」 久持「私は行ったことないんですけど(笑)。」 鶴「奥田民生が大好きだったみたいで。それから、私も気になって、テレビに出る時はちゃんと聴くようにしてました。」 久持「あの時だいぶ流行っていましたよね。テレビにもだいぶ出られていて。」 鶴「確かに素晴らしい歌手ですよね。ああこういう人が八巻先生好きだったんだなって、なんかピタッと合うみたいな感じはしました。」 久持「どういうところが?」 鶴「どういうところかね。なんか奥田民生ってちょっとオシャレじゃない。ちょっとセンスが良いというか。それと情緒性があるかな。そういうところじゃないかね。私はふたりピタッとあうなって。だから八巻先生が好きになるのは、私なりには「ああ、なるほど」と思ったですね。ガサツ性があるような歌手は嫌いだ思うの。」 久持「奥田民生は確かに好きだったみたいで、学生時代、カラオケにしょっちゅう行ってたんですけど、必ず歌っていました。また上手いんですよ。カラオケも。」 鶴「ああ、そう。聞いたことないです。」 久持「え、そうですか。一回も?先生はカラオケは?」 鶴「私はしない。」 久持「あ、そういうことなんですね。いや秋田にあれだけいらっしゃって八巻先生とカラオケ行ったことないっていうのは。」 鶴「だからそれは私は対象に入っていないのよ。きっと。そういうのの対象に。」 久持「必ずもう飲みに行ったらカラオケもセットで。まあ秋田自体がそれしか遊び方がなかったのかもしれませんけど。歌も上手で、声量があるというか。」 鶴「そうでしょうね。それはちょっと聞き惚れるよね。」 久持「伸びやかな声で、歌ってましたね。」 鶴「秋田時代、結構楽しんでるねえ。」 久持「だと思いますね。」 鶴「まあお仕事たくさんされてたけど。本当に精力的に仕事もしてらっしゃるよね。」 久持「日中は仕事をガッツリやって、夜はしっかり遊ぶ、という感じで。」 鶴「うん、そういうことよね。」 久持「パワーがあったっていう感じでしたね。」 鶴「あ、パワーあったね。」 久持「確かに。」 鶴「そのパワーが、明るいパワーだったねえ。パワーにもいろんな色合いがあるけど、八巻先生のは明るいパワーだったって、印象がありますね。」 久持「鶴先生は、八巻先生と一緒に何か仕事でご一緒されたことありますか?」 鶴「したことがあるのは、催眠研修会。秋田で何回かやったことがあります。その時に、八巻先生と、それから小川先生っていう方と3人で講師を務めました。催眠研修会を何度かしたことありますね。それなりに人が集まってくださって。私が退官した後も、八巻先生が 自分で何回か催眠研修会したんじゃないかね秋田で。そんな印象があります。」 久持「普段の大学教員としての仕事の仕方もあるのでしょうけどイベントなどをやる時に、八巻先生って結構熱が入るタイプでしたよね?」 鶴「どんなイベント?」 久持「それこそ学会とか。それは自分が主になるのと下につくのでは違うかもしれないけど。」 鶴「八巻先生が来たときにね、実は催眠医学心理学会の秋田大会をしたんですよ。彼が在籍している時、ただその時に八巻先生がどう立ち働いたかという記憶がないのよ。たぶん、八巻先生が赴任して1年目くらいだったと思うんです。それが思い出そうとすると思い出せない。」 久持「それは学会でしたよね?秋田の温泉…さとみ温泉でやった学会じゃないですか?」 鶴「そうそう、さとみ温泉でした 。」 久持「私が入学する前の年の話ですが、院生の先輩から「大変だった」って聞きました。あなたたちが在籍している間は学会が来なかったから、安心してねと言われて(笑)。」 鶴「でももう一つ、さとみ温泉でやったのは、臨床動作法の学会ではなかったですか?」 久持「じゃあ八巻先生はそんなに関わっていなかったと思います。」 鶴「その後にね、田沢湖のホテルを借り切って、催眠医学心理学会を開催したこともありました。その時(八巻先生が)いたはずなんだけど、記憶がないの。」 久持「そうですね。私もその時、田沢湖でやったという話は聞いたことがないですし、私も参加してないですね。じゃあ、いつ頃だったんでしょうね…。」 鶴「2000年に私が赴任して、2001年に八巻先生が赴任しているわけだから」 久持「だいたいのことは重なってるはずですよね。ちょっと後で資料を確かめてみます。」 鶴「その時、小川先生が中心だったから、八巻先生はちょっと影に隠れてたかもしれませんね。催眠医学心理学会をそのホテルでしたときには、八巻先生と直接関係ないんだけど、3日間やるんですけど、中日の午後イチにリラクセーション・プログラムっていうのを入れたんです。大会のプログラムを常任理事会にかけてリラクセーション・プログラムってなんですかと言うからね、「温泉行き」と「田沢湖めぐり」と二手に分かれてリラクセーションを体験するんです。そしたら年配の常任理事の人から、「不謹慎じゃないか」って意見がでたの。でも、結果的には通ったのよ。それでそれを実践したら。年配の先生方が 「温泉行き」に一番にバス乗り場に並んで。(笑)そんなことありましたね。」 久持「それはなかなか面白い話ですね。」 鶴「その時の案内役を八巻先生がしたような…うっすら記憶があるんですが、ちょっとそこは不正確なんですね。」 久持「そういう、ちょっと変わったことをするというか」 鶴「うんうん、亡くなった大先輩達がねえ、いっぱいそのコースに。」 久持「それはどういう思いで見てたのか。そうそう反対してたんじゃないんですかっていう。」 鶴「だけどまあ催眠医学心理学会だからね、ご自分も会員である。柴田出先生も来られて、笠井先生も来られてて、で、その時の懇親会の柴田先生の写真はあるのよ。だけど、八巻先生の写真はない。動き回ってたのかもしれませんね。」 久持「なんか思い出しましたけれども温泉に行って一緒に入るという企画は、他の学会でもやったんですよ。一緒にあの先生と風呂に入ったんだというのをその後よく聞いていたので、もしかしたらその企画に八巻先生がタッチしていたかもしれない。」 鶴「だって正式なプログラムに入っていたもの。」 久持「『リラクセーション』ってそっちなんですかという感じ(笑)。」 鶴「でも福岡時代にも似たようなことがあって、英彦山で研修会した時に、午後の3時間ぐらいとって、「米山」って書く「よねやま」って、そこに梨ひとつ持って、山を登って降りてくるというプログラムを入れたの。それもものすごく好評だったの。」 久持「梨一つってどういう意味が?」 鶴「水分です。当時はペットボトルとかなかったから。梨一つ持って上まで行って、食べて降りてくるって。ものすごく好評だったの。でもそれはある種遊びじゃないですか。でもそれを正式なプログラムに入れる、その後のプログラムが活気づくわけ。」 久持「楽しいことをやって」 鶴「そこで仲良くなるしね。」 久持「今はそういうの、あまりやらないですよね。」 鶴「やりにくくなったね。」 久持「『事故があったらどうするんだ』って。」 鶴「学生もそういう遊びはあんまり喜ばなくなったよね。私はそんな気がする。学生気質として。」 久持「あとは、八巻先生の仕事ぶりについてはいかがですか?」 鶴「私は一緒に仕事をしたわけではないの。結局、催眠の技法研修会を何回かした以外は、一緒に研究したとか、一緒に本書いたってのはないので、だから八巻先生がどういう仕事をしたかなとか、どんな本を書いたかなっていうのを概略さーっと見させてもらったときに、先ほども話したけど、アドラー精神というかね、それが自分の思想とぴったり合ったんだなって。幸せですよね。自分の在り方とピタッと一致する思想を持って仕事ができるというのは、それは熱も入ると思いますよ。」 久持「そういうのってなかなか出会えない。いろんなしがらみがあったりとか、最初にどのゼミに入るかとか、そういうことによっても変わってきてそうですよね。意外と簡単ではないですよね。」 鶴「そうそう。だから柴田先生のところは精神分析一本だったと思うから。彼、最初の臨床があそこだったと思うから、だからあそこで精神分析に触れて、雰囲気の中でスタートは育ったのだと思うけれど。その後彼は分析から離れているものね。」 久持「そうですね。柴田クリニック時代は、八巻先生の人生の中でも特殊な、マイナスだけではない時間だったと思います。」 鶴「それはそうでしょう。あそこ(柴田クリニック)は独特の雰囲気だったからね。」 久持「辛かったというのは本にも書いてるし、私も何度も聞きましたし。私は八巻先生の人生の中ではバネになって、収縮してこう弾むじゃないですか。こういう時期だったのかなっていう。」 鶴「でもね。若い頃精神分析勉強してたんだというのは、一つの「こういう考え方があるんだな」と、「そういう理論と技法の中でセラピーしたら人はこんなふうに変わっていくんだな」っていうのをそれが体験できたのはとても良かったんじゃないでしょうかね。それがあったからこその、それとは真反対の方に走ったんだね。その方が自分に合ってたんだということね。」 久持「自分の持ち味と思想とがぴったりくるというか。」 鶴「非常に単純に言ってしまうと好き嫌いっていうのがあったんでしょうね。」 鶴「オープンダイアローグに彼が一早くから関心を持たれたのも、アドラー心理学に傾倒したってこととも繋がるけど、先ほど話したように、結局、フラットな関係、フラットな関係が好きだし、大事だし、それが心理臨床でも重要、っていうのが心の根底にあったような気がしますね。主体性とか主体的を強調した本を書かれているけど、それはご自分の人柄そのものだなって(笑)。」 久持「初期の論文に、「セラピストが主体的になること」みたいな、クライアントの主体性はもちろんのことながら、セラピストの主体性も大事なんだみたいなことを書かれた論文もありましたので、それこそ柴田クリニックを出た後ぐらいに書かれた論文だったから、ご自身の主体性が開いたところのタイミングで出た論文でもあったのかなと思いますね。」 鶴「人の一生ってそういう意味では興味深いね。いろんな個々での経験が反動的にここでつながっていってるってね。そしてここで出会ったものが一生涯のテーマになる、っていうような。でもまあ、早くはお亡くなりになったけど、私から見たら素晴らしい人生だったんじゃないかなと思います。」 久持「何というか。亡くなった後も、いろんな人とお話ししていたんですけど「最後まで走り続けていた」と話していて。」 鶴「それがまたアドラーとも似てますね。仕事が大好きみたいなね。 八巻秀バーチャル記念館の、どういう仕事を請け負っているかっていうのをずらっとありますもんね。びっくりしますよ。」 久持「意外と、と言ったら失礼ですが、マメに記録を残してるんですね。」 鶴「なるほど。」 久持「全部書いてあるんです。だからあの、亡くなったのもご自身、亡くなるつもりは1mmもなかったと言いますか、そういう亡くなり方をしたわけですけど、その私、ご家族から八巻先生のパソコンを預かって見てみたら、もうびっしり。なんか八巻先生っておおらかっていうか、まあ、おおおらかであり、あまり細かいこと気にしないし。「まあ要点さえ押さえればいいよ」って感じだったので、あんまりそんな細かくキチキチってされているイメージないけれど。結構スケジュールとか、すごく細かく。今までの履歴とか、講演の記録も全部とっているんですね。」 鶴「ええ、すごいね」 久持「ありがたいことに、それがあったので、色々なぞって引き出して、バーチャル記念館の方にもアップできたりっていうのはありました。」 鶴「バーチャル記念館に載ってるいろんな写真が素敵ね。どれもね、本当に。お人柄を示している写真で魅力的な・・・本当に。」 久持「その中の結構な割合が食事中の写真だと思います。(笑)」 鶴「なるほどね。」 鶴「あなたのルポ、秋田の天ぷら店「みかわ」さんのエピソードもなんかこう・・・胸が締め付け・・・締め付けられるって程ではないけど、いいお話ですよね。あの店主さんと奥様がね、八巻先生のことをよくよく覚えててね、」 久持「うん、そうなんですよ。」 鶴「ああいう人生の楽しみ方をされてたんだな~って思って・・・」 久持「お会計の時だけはびっくりしました(笑)。」 鶴「本当よね、尋常じゃないお会計(笑)。美食家だったのよね。」 久持「もう一軒別の店を書いている途中のお店があります。先々週ぐらいに、行ってきまして。レポート書きますので」 鶴「楽しみにしてます。」 久持「お話しそびれたことはありますか?」 鶴「いえ、もうほとんどお話ししたと思います。」 久持「最初から一気に盛り上がってしまって。」 鶴「本当はもっと長く秋田大学にいて欲しかったけど出身校の駒澤大学に移られたからこそね、その後のご活躍があったんだと思いますね。本当に精力的に仕事をされていたんだなと思いました。まあ、言っても仕方ないけど、催眠医学心理学会の大会長を引き受けられてね。それが、実現しないまま。ご本人も悔しかったと思いますね。」 久持「開催の2ヶ月前に…」 鶴「そうそう。で、(亡くなる)一ヶ月ちょっと前ぐらいに、心理臨床学会の総会、代議員会ってのがあって、八巻先生もそれに来られていて、休憩時間の時に私のところに来られて、合同大会でシンポジストを頼まれていて、それで八巻先生が来て、「あれをどうぞよろしくお願いします」って挨拶されて、そこでちょっとしばらく色んなことを話したんですね。その時も本当もう、なんかもうそこの学会を成功させたいっていうね。もうそういう思いでいっぱいでしたね。」 久持「それと別のアドラー系の学会も合同で、それも大会長だったんです。両方残していかれてなかなか大変だったみたいなんですけど。まあでも本人が一番・・・」 鶴「ね、悔しかっただろうね。」 久持「それは本当に悔しかったでしょうね。」 久持「はい。では本当にありがとうございました。」 鶴「また機会があったら。」 久持「またぜひお話をお聞かせください。ありがとうございました。」

田嶌誠一先生インタビュー

​インタビュアー:久持 修(やまき心理臨床オフィス代表)

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