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八巻秀に逢いにゆく

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2025年7月26日に 納骨式と一周忌法要を親族のみで執り行いましたので ご報告させていただきます

木漏れ日が美しく お花に囲まれた 樹木葬にいたしました

 

甚だ勝手なお願いと存じますが お時間が合えばお墓参りしていただければ 八巻も喜ぶかと思います

生前故人に賜りましたご厚情に 深く感謝いたします

 

皆様のご健勝をご祈念して 納骨の報告といたします

◆場所:小平ふれあいパーク(東京都小平市天神町2-23-1)

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小平駅より徒歩7分

駐車場完備

(通常時)9:00~18:00

(冬時間:10/16~1/31)9:00~17:00

定休日 水曜日 ※お盆・お彼岸・年末年始は営業

 

【区画:ⅢC-8-2】

正面 薔薇のアーチを通り二股路を左方向→突き当りを左折してすぐ

※動画をご参考ください

一周忌法要と納骨式を眺めながら

 2025年7月26日,土曜日。私は様々なご縁を頂きまして,八巻秀先生の第一周忌法要並びに納骨式で読経させて頂きました。私は,2024年3月に駒澤大学大学院を八巻ゼミ生として修了いたしました。その年の8月,先生が急逝されたとの訃報の知らせを受け,激しく動揺していたことを覚えています。まさしくこれから,先生との関係をより深めていきたいと思っていた矢先でした。先生に対して,何も恩返しができない状況で,何か自分のできることを行いたいと思いました。その想いから,勝手な提案でしたが,先生の供養を奥様であります知子様に申し出まして,この機会を頂戴することになりました。ここでは,一周忌の法要や納骨の様子を読経者の視点で書かせて頂きます。

 まず,先生が納骨される小平ふれあいホール(東京都小平市)は,非常に落ち着いた雰囲気の場所でした。森の中にある庭園のようでした。式場はダークウッドの作りで,正面には先生のお遺骨が祀られており,静かにたゆたうキャンドルの火が印象的でした。ただただ故人を偲ぶことに気持ちを向けることできる作りになっておりました。

 私は衣装を整え,定刻に法要を始めました。最初のご挨拶として,参列したご遺族の皆様に対して,私が導師を勤めることになった経緯をお話しし,そして,この一年になろうとする想いを述べさせて頂きました。急逝に対する混乱,何かできたのかもしれない後悔,残酷にも過ぎる時間の中で,先生のいない世界を生きていかねばならない不安と虚脱感など。それは私以上にご遺族が感じているものかもしれません。それ以上に複雑に絡み合う想いを抱えているのかもしれません。今日は,そのような想いを抱えた私達を互いに労い合う場になることを,そして何より先生への感謝とご助力を賜れるようにという願いをお伝えして,読経を始めました。

 法要の中で,私は回向文という文章をお読みしました。それは,必ず儀式の終盤にお読みする願いの文章です。私は,この文章を作成する際に,生前先生が言っていたことを思い出しました。それは,自分が亡くなり生まれ変わったとしたら,大きな鷹になって色々な所に飛んでいきたいという願いでした。私はその内容を盛り込みたいと思いまして,回向文を作り,先生のお遺骨の前で読ませて頂きました。以下に,その内容を日常語に直したものを載せさせて頂きます。

 

 「あらゆる功徳をお供えし,本日はここに八巻家親類の皆様とともに,八巻秀先生のために第一周忌法要を営み,回向させて頂きます。諸々思い返しますと,先生は令和6年8月11日に急逝されました。そのことは,縁ある私達に深い心痛を与え,一方これから縁ができる人達にも縁を結ぶ機会が失ってしまいました。その苦しみは甚だしいものであります。今もこの苦しみを癒やすことは難しく,しかしすでに1年が経とうというのは,時間とは早いものだと思います。

 先生は今はるかお浄土の虚空を渡る大鳥となって,私達を眺めていますか。私達の今生きる世界はいまだ争い絶えることなく,そこに生きる生きとし生けるものは憂いを抱え,迷いの渦に溺れております。妙法蓮華経の譬喩品第三を見るとこのように書いています。この世界は安らかに過ごすことは難しく,それはあたかも火事の家の中にいるようで,苦しみに満ち,生きとし生けるものは非常に怖れ慄いており,常に生老病死の憂いを患っていると。この故に,今先生が生前に残した,かかわりの心理臨床が求められるのでしょう。大火事に巻かれる生きとし生けるものを観て,聴いて,伝え,対話を重ねることは肝要でありましょう。

 願いますと,先生には,どうかその大きな翼を用いて,そのような生きとし生けるもののもとに訪れて,その火と熱を払うための助力を賜ればと思います。また,私達の各々道で精進を重ねて,そのような生きとし生けるものを助けていくことをお誓い申し上げます。私達もまた先生からのご守護を賜り,どうか成就できるようお導きくださいませ。

 また,先生のもつ生前の罪障がありましたら,それが無くなり,よき徳を身につけ,平安な境地になりますことを願っております。そして,この場に集まった八巻家親類等の皆様が,身体健やかに,心安らかに,諸々の願いが成就することをお祈りします。どうか先生,お守りください。」

 

 読経を終えまして,最後の挨拶では,先生から何を受け,何を持って,これからを生きていくのかについて,お話ししました。それは,1人1人,先生の思い出とともに異なるものでありましょう。私は私なりに,参列の皆様も皆様なりに,先生から頂いたものを携え,何をしていくのか。その話をしながら,先生が生前私に話してくれたことを思い出し,話させて頂きました。「高橋君は,なにがしたい?」未来志向の言葉は,今も自分が壁にぶつかったときに問うている言葉です。これからどうしたいのか?何をしてみたいと思うのか?もしかしたら先生も今の自分達に問いかけているように感じました。それは,1人の力で実現できることもあれば,難しいこともあるかもしれません。犀の角のように独り歩むことは時に辛いこともあるでしょう。その中で,快き友とともに歩んでいけるのなら,心強いことはありません。皆様がそのような共同体感覚をもち歩んでいけるように,この場で結んだつながりを大切にしていきましょうと述べさせて頂きました。

 

 法要が終わりまして,墓園に移り,先生のお遺骨が花々に囲まれた土の中へと納められました。焼香も終え,すべてが完了した際に不思議な出来事があったのです。締めの経をお読みした後,一礼をした際に,突如頭上から風が吹き渡りました。その日の始めから,風はなくただただ暑い日でありましたが,その時に限り,心地よくも強い風が吹き抜けたのです。吹き抜けると,正面中央にあった先生のお位牌がパタリと私達の前に傾き倒れました。あたかも,先生がお辞儀しているかのように。生前のように早歩きで「お疲れ!」と言って駆け抜けていったように。あの風は何であったのか。想像の範囲はこえません。大きな鷹となって,私達の下に来てくれたのかもしれません。それを証明するものもありませんが,そのような想像が巡るほどに印象的なシーンでありました。

 一周忌や納骨が終えることで,心の何かがすべて解決するとは限りません。個人差もありますし,先生のいない世界を歩むことは,生きるかぎり関わることでありましょう。どうか先生のお墓が,皆様にとって憂いや迷いなどを感じた際,もしくは感謝と出発のための立ち寄り所になって欲しいと願います。話すことも,祈ることも,死後でさえ行えること。死後でさえつながれること。遺された者同士で共感し協働できること。それは,無常という不条理に向き合うための,一つの方策なのでしょうから。

 

髙橋 尭則

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