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八巻 秀が愛したお店

このページでは、食通であった八巻秀が生前に通い、愛したお店を紹介していきます。

よく通った店から仲間や家族との思い出の店、そして人生の節目に訪れた大切な店まで。

当時の記憶や八巻との思い出を辿りつつ、八巻と親交のあった人々が筆を取り記録していきます。

#02 福島「小判寿司」食旅レポート 文:久持 修

八巻秀が愛したお店

2025年4月―。

私ごとであるが、中学・高校時代からの親友が福島県白河市に転勤になった。その知らせを聞いた私の頭の中に真っ先に思い浮かんだのが「小判寿司」である。

 

「小判寿司」は八巻先生が生前もっとも愛していたと言っても過言ではない店である。事あるごとに「小判寿司は美味しい、久持君も是非行きなさい」と言われていた。しかし、「小判寿司」の所在地は、福島県棚倉町という場所。東京からの道のりは、ちょっとした小旅行とでも言えるような、いわば大変にアクセスの悪い場所である。なので、私は「場所が遠すぎて、近くで用事がない限りは行く機会がなさそうですよ」と言っていた。それに対する八巻先生の言葉はいつもこう決まっていた。

 

「違うんだよ。用事の“ついで”に立ち寄るのではなくて、その店に“行くため”に、そこに行くんだよ」

 

“ついで”ではなくその店こそが目的地だ、という言葉は当時聞き流していたが、あまりに力強く八巻先生が言うものだから、「小判寿司」という名前と所在地は私の記憶に強く刻まれていた。

そんなある時、福島県に立ち寄る機会があり、これはついに!というタイミングが訪れた。とはいえ、そこから小判寿司までは車で90分ほどかかるのだが。「ついに小判寿司に行ってきます!」と報告した時の八巻先生は満面の笑みは、今でも目に焼きついている。自分が行くわけでもないのにそこまで喜ぶものなのかな?とちょっと不思議に思ったくらいである。

八巻秀が愛したお店

↑小判寿司を訪れる八巻先生

八巻秀が愛したお店

↑棚倉町で有名な和洋菓子店「甘盛堂」にも立ち寄った

さて、話を最初に戻そう。私の親友が福島県白河市に転勤になった。調べてみると、白河市は棚倉町に隣接しており、そこから小判寿司までのアクセスは比較的良い。とはいえバスで60分ほどかかるのだが。これは八巻先生が「行きなさい」と言っているに違いない。そう確信して私は小判寿司に行くことを決意した。1年半ぶり、2度目 の「小判寿司」訪問である。私の中では、今回は「小判寿司」に行くことが主たる目的であって、そのついでに親友に会いに行くのだと捉えていた。八巻先生が言っていたように「小判寿司」に行くために、福島県棚倉町まで足を運ぶことにしたのである。

―2025年4月25日金曜日、ついにその日がやってきた。

まずは自宅から白河まで車で行くことにした。そこで、車を友人宅へ置かせてもらい、バスに乗り換えて一人で磐城棚倉駅に向かった。わざわざバスに乗り換えたのはもちろんお酒を飲むためである。11時半のランチタイム開店に合わせて11時頃に駅に到着。開店まで30分ほど時間を潰さなければならないため、まずは駅舎に入ってみた。タクシーの運転手が外に二人ほどいるだけで、駅前には誰もいない。駅舎の中に入ってみると、「観光案内所」と書かれた場所があり、そこに観光案内の法被を着たおじいさんが一人座っていた。寿司を食べ終わった後に時間があるので観光について質問しようと思い、おじいさんに話しかけた。

 

「この辺で観光するのに良さそうな場所はありますか?」

 

「なーんもねえ。桜も終わったし、何もないねえ。すみませんねえ」。

 

……衝撃的な回答である。

観光案内の法被を着て「なーんもねえ」とは、観光案内人の意味がないのでは、おじいさん。と心の中でツッコミを入れつつ、むしろ私は心がとても綻ぶような気持ちになった。何もないなら何もないで、何もないこの街並みを帰りに観て帰ろうじゃないか、と気を取り直した。

時刻は11時10分。次に、駅前にある立派な建物に足を運んだ。それは、棚倉町が誇る町立図書館である。言葉を選ばずに言うと、駅周辺の寂れた雰囲気には全く似つかわしくない立派な建物である。八巻先生からもこの図書館の話は聞いていた。「小判寿司」が開店するまでの間、先生もよくこの図書館で時間を潰していたそうだ。図書館の中に入ってみると、図書館特有の落ち着きのある本の匂いがした。この館内の空気を八巻先生も吸っていたのだろうなと思うと、心が少ししんみりしてきた。

11時18分。いよいよ時間が迫ってきたので、店に向かった。

八巻秀が愛したお店

11時25分。店へ到着すると開店5分前だが既に若い男性が一人並んでいた。開店と同時にその男性と共に店内に通され、カウンターで隣同士になった。店内には私とその男性客二人である。すると、店主が「それでは、始めます。どうぞよろしくお願いします。」と頭を下げ、料理を出すための動作をしはじめた。この瞬間、店内の空気が一変した。元々静かな空間であったが、その一言をきっかけに少し張り詰めたような空気に変わり、私たちはしばらく店主の動きに見入ってしまった。少しの無駄もなく、滑らかな動きは、ピンと張り詰めた空気の中で美しく、見ていて惚れ惚れするものであった。しばらく見入っていると女将さんが注文をとりに来てくれた。コースは事前に頼んでいたのでお酒はとりあえずビールを頼む。その際女将さんに、私が八巻先生の教え子であり、今回訪れた目的などについてそっと伝えた。実は店主の和知さんは八巻先生が亡くなった後にわざわざ東京までお線香をあげに来てくれたことがあり、私はその時に会って数時間お話をしたことがあったのだが、まだこの時点では私がその時の人間だということが繋がっていなかったようであった。女将さんとの話を聞いた店主は「あの時の方でしたか」と思い出し、それからしばらく八巻先生の話で盛り上がった。

八巻秀が愛したお店

店主と女将さんと話す中で、私の「小判寿司」初訪問の記憶が呼び起こされた。

先述した通り、「小判寿司」へ初めて訪れたのはまだ八巻先生が元気であった2023年12月。私はついに、あの店へ行けると期待に胸を躍らせていた。なにしろ、寿司を食すために90分も車を走らせてはるばるやってきたのである。長旅の末ようやく辿り着き、お腹もちょうど良い具合に空いていた。

いざ店に入って注文しようとしたところ「既に承っております」とのことである。「え、まだ、注文していませんけど?」という私の怪訝な顔色を察した店員さんが「八巻様よりコースの注文と料金も既に頂戴しております」と告げる。八巻先生は私から「小判寿司に行く」と聞くと、さりげなく日時を私から聞き出し、こっそりと店に電話をかけて注文を済ませ、料金の支払いも行なっていたのである。……なんという粋な計らい!その日は、ありがたくコースを八巻先生にご馳走になり、飲み物などを少し追加したのでその料金のみ自腹で支払うことになった。だがなんと、この店現金のみの会計であった。そのことを知らずに、恐る恐る財布の中を見たところ、ギリギリの持ち金であった。八巻先生からこの点でも助けられた。というわけで、私の財布はほぼ空っぽになってしまったものの、心とお腹は大変に満足して店を出たのである。

そんな初訪問の感慨深い思い出をなぞりつつ、少し話が盛り上がったところで、隣の客にも話しかけてみた。どこから来たのか尋ねてみると「東京です」と言う。「東京のどちらですか?」と聞いてみると「立川市です」というものだから、これには驚いた。私も立川市民だからだ。詳しく聞いてみると町名と番地まで一緒で、隣近所に住んでいる方だと言うことがわかった。立川に住んでいる若い人がこのような格式の高い店に一人で来るとはどういう事情かと聞いてみると、仕事上の関係者に医師がいて、「今度東北に出張があり、そのまま休みを取るので美味しいお店はないか?」と聞いたところ、「小判寿司」を紹介されたそうである。

 

八巻先生が「小判寿司」を大変気に入っていた理由が、この時よくわかった。寿司を含む料理が美味しいのはもちろんのことながら、店の中に漂う空気、そしてそこに身を置くことになんとも言えない心地良さがあるのである。隣の客と話をしていると店主はあまりその話に入ってこない。そうかと思うと、ふとした時に話に加わり話題を盛り上げてくれる。つまり、話に入ってきていない間も、しっかりと客同士が話をしていることに耳を傾けているのだ。おそらく相当細やかな配慮の上にこれは成り立っている。八巻先生は心理臨床家として大切にしていた「配慮の極意」をここに見出していたのではないかと想像した。

私の「小判寿司」に対する印象はこうだ。寿司を中心とした料理は全般的に味のバランスが良く、上品な味わいである。当然、これらとお酒(特に日本酒)との相性は抜群であった。料理とお酒の相乗効果で舌とお腹が満たされていくだけでなく、店内では、店主の美しい所作に見入ったり、楽しい会話で盛り上がったりするなど、心地よい店内に身を置くことができる。まさに身体全体が満たされていくような感覚を覚えるのである。

八巻秀が愛したお店

店主の和知さん。丁寧で見事な手仕事はずっと見ていられる。

そうこうしていると、隣の客が食事を終え、先に店を出て行った。時計を見ると既に14時近くになっていた。2時間半もお店にいたことになる。お酒もビール1杯、日本酒2合と、私にとっては飲み過ぎの領域。しかし本当にあっという間であった。そこからは、店主や女将さんと八巻先生の話で盛り上がった。八巻先生はしょっちゅうこの店に来ていたこと。いつも日本酒3合くらいのんで、千鳥足で帰っていたこと。一度、相当飲んで危ないと感じた女将さんが駅まで車で送ったこともあったそうだ。ここでも随分と爪痕を残しているなあと、在りし日の八巻先生の姿を目に浮かべながら話を聞かせてもらった。

 

 

 

それから、この日は本当にご縁があるものだと感じたエピソードがあった。私が近いうちに仕事で長崎に行くことを話すと、店主も「私たちも長崎に行きますよ」とのことだった。天草の市場に行って研究のため魚を観に行くのが目的で、長崎市にも立ち寄って、知人の美味しいイタリアンの店に行くとのことである。そのイタリアンの店は地元では大変な人気店とのことであったので、「私も行きたい」と伝えると、その場でスマホを取り出し、お店の人に連絡をして、予約を取れるように交渉してもらい、見事予約を取ることができたのだ。

(これは後日談であるが、長崎のそのお店(店名は「il vivo(イルヴィーボ)」という)に行ってきて、それも大変居心地の良いお店で料理とお酒も抜群に美味しかった。)

八巻秀が愛したお店

さて、気づけば店内には私一人。時計を見てみたら14時30分であった。3時間も店にいたのが信じられないくらい、あっという間の心地よい時間であった。名残惜しいが、お会計を済ませて店を出ることにした。

店を出ると、眩しい太陽に目がくらむ。こんな昼間から酒を大量に飲むなどあまり経験したことがない。その後、酔い覚ましも兼ねて棚倉町の「なーんもねえ」という街並みを見ながらぶらりぶらりとあてもなく散歩をした。東京と比べて人の数が圧倒的に少なくて静かな街。季節は春。新緑の緑と道端に咲いている小さな花の風景が美しく、「なーんもねえ」けど良い街だ、と感じた。

 

福島県棚倉町。また小判寿司に行くために再訪したいと思う。

八巻秀が愛したお店

八巻秀の愛したお店 #02「小判寿司」

住所:福島県東白川郡棚倉町古町30-2

電話:0247-33-7337

HP:https://www.kobantanagura.com

 

◾️鮨と肴おまかせ〜要予約〜
紅 くれない 19,800円(税込)

 

青森の岩海蘊と天草のヒオウギ貝の酢の物
静岡の桜エビの茶碗蒸し

【お造り】
相馬の鯛
下北の桜鱒焼き霜
石巻の細魚昆布〆

相馬のあん肝 三陸の水蛸桜煮

相馬の太刀魚の塩焼き 山形の葉わさび

【鮨】
天草の石鯛
兵庫の島貝
塩釜本鮪 赤身漬け
天草の小肌
塩釜本鮪 とろ
熊本の才巻海老茹で
千葉のかすご
北海道の馬糞ウニ
天草の釣り鯵
相馬の目光炙り
対馬の穴子

だし巻き卵 芝海老のすり身入り

お椀
 

#01 秋田「天ぷらみかわ」食旅レポート 文:久持 修

八巻秀が愛したお店

2024年11月7日、秋田入り。

ホテルに荷物を預けて、人通りもそこそこの秋田駅周辺を歩く。

 

八巻先生が亡くなったのが8月11日なので、およそ3ヶ月後のことである。

この日は、八巻先生が行う予定だったとある企業のメンタルヘルス研修の講師の代役として秋田に訪れていた。

 

今から遡ること、およそ20年前の2003年4月。

私は秋田大学大学院の八巻ゼミに入るために、東京から秋田に上京ならぬ“上秋”を果たした。(いや、「都落ち」とでも言った方がいいかもしれない・・・)

 

そこから4年間、秋田に住むことになるのだが、当時の秋田駅近辺の様子とは随分様変わりしていた。駅全体も新しくなり、秋田杉が贅沢に使われた内装でがらりと現代的な印象だ。そして駅改札を出ると買い物客で賑わう駅ビルや、駅前に聳え立つ大型のビジネスビルなど。私が慣れ親しんだ秋田駅周辺の姿とはまったく違う。

その変貌に時の流れを感じ、この間に八巻先生がこの世を去ったのだとじんわりと実感する。秋田の冷たい空気が肌に突き刺さり、寂しさが身に沁みて痛く感じるような気がした。

 

さて、今回の秋田訪問にはもう一つの大きな目的がある。

それは、八巻先生が愛した店「天ぷらみかわ」に行くことであった。

 

「天ぷらみかわ」の話をする前に、私がそれまでに食べた天ぷらの中で最もおいしかった店について語らせて欲しい。それは福島県郡山市の「天ぷら佐久間」である。

実は、このお店に初めて行ったのも八巻先生とだった。当時の私は秋田大学大学院を卒業し、八巻先生から離れ、福島県に住んでいた。職場では思うようにうまくいかず、悩んでいた。そんな時に、美味しいお店をエサに…と言ったら怒られるかもしれないが、八巻先生を福島に呼んで、仲間とともに八巻先生の研修を受けるという企画を立てたのだ。

当時の私の職場では一言発するのにも神経を使いながら、という感じであったのが、この日は、八巻先生との会話が本当に楽しくて、何も考えずに言葉を発し、そして笑いあい、心から楽しめたのである。出てくる天ぷらの美味しさとともに、心躍るような会話を体験した。私はこの時に「やっぱりついていくべきは八巻先生だ」ということを確信したのである。

 

 

そんな思い出もあり、天ぷらと八巻先生は私にとって意味深いのだ。

話を「天ぷらみかわ」に戻そう。

「天ぷらみかわ」は八巻先生がこよなく愛していた店である。

あのグルメな先生が愛した店だ。美味しいに決まっている。

無事に企業での研修を終え、秋田大学時代の八巻ゼミの同期の友人とともに店を訪れた。

八巻秀が愛したお店

八巻先生もさぞ来たかったことだろうと思う。だから、せめてもの気持ちで八巻先生の形見のネクタイを締めて店に入ることにした。店の中は、カウンター8席のみ、それと個室のコンパクトな作りだ。すでに先客がいて、我々が入ったらあっという間に満席となった。

 

席に座ると、大将の北嶋さんと女将が温かく迎えてくれた。

カウンターの中では、じゅわり、ぱちぱちと軽やかな音とともに、一品一品天ぷらが揚げられていく。その音に食欲がそそられる。

目の前に現れた天ぷらは、黄金色の衣に包まれなんとも美しい。思わず天ぷらを前に背筋を正すほどだ。

 

まずは一口。サクッ。

今までに食べたことのないような衝撃的な美味しさであった。こんなにも軽やかな衣で素材の味が引き立つ天ぷらは食べたことがない。次々と目の前に提供される揚げたての天ぷらを無心で食べた。

特に茄子の天ぷらを食した時には驚いた。「熱いですのでお気をつけください」と言われて用心して口に運んだのだが、水分がちょうど良い塩梅で抜けており、予想していたような中から熱い汁が溢れてくることはない。サクッと軽やかな歯応えでしかも茄子の旨みがしっかりと感じられるのである。揚げる温度や時間、そして衣の加え方などによって水分をコントロールして素材本来の味を引き出しているといった大将の説明を受けて、その奥深さを実感したのである。

美味しい天ぷらと酒を心ゆくまで堪能し、気づくと店内には客がいなくなり、我々だけになった。このタイミングで、八巻先生が亡くなったこと、その代わりに今日ここに訪れていることを大将と女将にそっと伝えた。すると、女将が「八巻さんって、あの八巻さんじゃないの?」と大将に耳打ちをし、大将は「え?あの駒澤大学の八巻先生ですか?」と言ったので「そうです。ご存知でしたか」と言うと、「知ってるもなにも、良くきてくださっていました」とのことだった。

しばらくの沈黙の後、女将が口をひらく。

女将「でも、八巻先生、8月にご自身で電話をかけてこられて、『都合が悪くなったから今回はキャンセルしてください』っておっしゃっていましたよね」

私「そうなんです。あれは私がキャンセルの電話をかけたんです」

女将「でも八巻先生の携帯からかかってきたと思うのですが…」

私「え?携帯番号登録されているのですか?」

女将「はい。何人かの常連の方の電話番号は登録しています」

 

なんと八巻先生は、お店の超常連の一人にカウントされるほど良く来ていたらしい。

続けて、こんな会話も交わした。

 

大将「いやあ、今年一番のびっくりした、ショッキングなことです」

私「ところで、八巻先生はどのくらいの頻度でこの店に来ていたのですか?」

大将「そうですね、3〜4ヶ月に1回くらいはいらっしゃっていましたよ。いつもお帰りの際には次の予約を取っていかれていました。秋田の出張に合わせて寄っていただけたみたいです」

 

八巻先生の“定位置”はカウンター席の端の壁際。いつもその席に座っていたそうだ。そこで出てきた料理を一品ずつスマホのカメラで撮影をしてから食す。そして、大好きな日本酒を飲み、大将との会話を愉しむ。美味しい料理を前に、にまにまと口角を上げて話す八巻先生の姿が目に浮かぶ。きっと先生にとっての至福の時だったのだろう。

 

他に客がいなかったので、八巻先生の“定位置”にも座らせてもらった。すると、大将が気を利かせて日本酒を注いで出してくれた。「八巻先生への献杯です」。献杯に至るまでの所作の一つひとつが美しく、やはり素晴らしいお店だと感じた。そして、席に座りながらこれまで八巻先生がこの空間で過ごしたであろう様々な体験に想いを馳せたのである。

「また、必ず来ます」そう大将と女将に伝え、店を出る。

冷え込み始めた秋田の夜。八巻先生との思い出を噛み締めながら、そして口の中にまだ残る美味しい天ぷらの余韻、満たされた腹をたずさえて、私は秋田を後にした。

八巻秀の愛したお店 #01「天ぷらみかわ」

住所:秋田県秋田市大町4-4-4

電話:018-807-4627

HP:https://www.akitamikawa.com

 

◾️お料理

 みはからい 18,150円

◾️飲み物

(熱燗)高清水 生酛特別純米

福禄寿 農醸 純米吟醸

飛来泉 長享 山廃純米酒

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